日本橋の高級ステーキ店「誠」で修業を積んだ宇田川隆直さんが、「宇田川」をオープンしたのは昭和42年(1967年)のこと。当時から、お昼はロースカツやヒレカツといった揚げものを中心とした定食、夜はステーキをメインにしたコースを提供。そのスタイルを50年以上続け、いまは2代目の宇田川伸一さんが変わらぬ味を受け継いでいる。
「宇田川」といえば、カツサンドが確かな手土産として有名だ。出版社に勤める柏原光太郎さんも、カツサンドを手渡したいくつかの思い出をもつ。「何かある度に、カツサンドと“勝つ”に縁起をかけて差し入れをしていました」と話し、象徴的なのが、文芸編集者時代のある作家とのエピソードである。
「直木賞の選考会の前日に、カツサンドを山本一力さんにお届けしたんです。そうしたら召し上がれたあとに、本当に直木賞を受賞されました。店への親近感がさらに湧いて、その後、一力さんといっしょに夜に伺ったこともありますね」
勝利を引き寄せたかもしれないカツサンドは、豚のひれ肉、キャベツの千切り、ソースをパンに挟んだ、シンプルかつ唯一無二のサンドイッチ。ぶ厚い肉が贅沢な気持ちと活力を与え、トマトが多めの野菜のソースが完璧な一体感を作り上げている。さっぱりと食べ切れるようにバターは塗られていない。
「時間がたっても美味しいんですよ」と柏原さんが安心して購入するように、長年、楽屋の差し入れとしても愛されている。また、カツサンドの行き先が時代とともに変わっていくのも興味深い。
「昔はみんな銀座のクラブにもっていって、家には届かなかった。それが最近は自宅用に買う人の方が多くなりましたね」(宇田川伸一さん)
カツサンドだけでいくらでも語れてしまいそうな「宇田川」だが、今回の本題は夜の魅力について。柏原さんが最初に店に入ったのは週刊誌記者時代のおよそ20年前。しばらくはランチでの利用だった。そのうち夜の“洋食割烹”が気になり、ご主人が「誠」出身ということにも惹かれ、30代後半からは夜の「宇田川」の醍醐味を知る。
「コールスロー、コロッケ、牛肉団子などがちょこちょこと出てきて、メインにステーキ、〆はガーリックライス。それらをビールとワインで楽しみます。洋食はやはり昭和の匂いがしていいものですが、洋食屋だとメンチカツやハンバーグがひと皿出てきて1時間で終わってしまいますよね。それがここでは2〜3時間ゆっくりと楽しめます。このシステムがありそうでない。昭和の洋食と割烹のいいとこ取りなんです。
料理は茶色くてインスタ映えもしないんですけど、ひとつひとつに、“あ、美味しい”と思えます。華美にトリュフが入っているとか、複合的な美味しいものとは違いますね。でも、たとえば肉団子でいうとほかでは食べたことがない半生の仕上がりで凝っている。それらを全部食べ終わったときに、すごく満たされた気持ちになります。僕はコースや割烹の楽しさって、そういう満足感にあると思うんです」
気になるその肉団子は、常陸牛のリブロースを包丁でみじん切りにして揚げた一品。ユッケを丸めて揚げているようなもので、半生といえども中は決して冷たくなく、肉のゴロゴロ感も肉汁もある。すべてが絶妙な塩梅なのだ。また、コロッケは大ぶりの海老とホタテが入る。そのように、よく見知った洋食メニューが少し豪華となり、昭和の粋な大人が贔屓にしたのも容易に想像がつく。
何か飲みたいワインがあれば持ちこめて、「そういう融通無碍なところもいいですね」と柏原さんは話す。ご馳走が揃うのはもちろん、下町らしいハートウォーミングな雰囲気に惹かれているそうだ。
「いまの料理は美味しいけれど過剰なものが多い気がしていて、終わってみると疲れてしまうこともあります。逆に、宇田川では食べ終わったころにすごくリラックスしているんですよね。それに“いつものあの料理を食べたい”と思ったときに、常に同じ味で待っていてくれます。店主が月ごとにこんな凄いものを考えましたというのは、それはそれでいいのだけれど、やっぱり料理って寛いで楽しみたい日がある。そんな時間のあることが、老舗の風格なのかなという気がしています」
「宇田川」
☎03-3241-4574
住所/東京都中央区日本橋本町1-4-15
営業/11:30〜LO13:50、17:00〜LO20:30 土日祝休
柏原光太郎(かしわばら こうたろう)
(株)文藝春秋でウェブ事業、宣伝部門を担当する傍ら、十数年前から食の魅力にはまる。最近は、食べるだけでなく、作る楽しみを普及させようと男性が積極的に料理をするコミュニティとして、「台所男子の会」「軽井沢男子美食倶楽部」「日本ガストロノミー協会」を立ち上げるほか、 「食べロググルメ著名人」「とやまふるさと大使」「Retty top user pro」も務める。Instagram(kashiwabara_kotaro)では娘への毎日の手作り弁当を登校中。